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SCHOOL SONG / CHEERING SONG

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校歌

校歌制定

四日市高等学校初代校長 福岡法重先生
 昭和23年(1948)9月下旬、四日市高校初代校長の福岡法重先生が職員会議で校歌の制作を提案。全職員が賛成し、歌詞を鈴鹿市石薬師出身の歌人・国学者である佐佐木信綱氏に依嘱することになりました。福岡校長はさっそく熱海の自宅に博士を訪ね、承諾を得ました。

 昭和25年(1949)4月25日に歌詞が完成し、その後に弘田龍太郎氏の作曲も成り、同年の文化の日、校歌の発表披露が行われました。

 昭和26年(1950)10月26日、佐佐木氏は郷里の鈴鹿市に帰った機会に、四日市高校を訪問されました。校庭に整列した生徒に対して、氏は列をくずして自分を円く囲むようにすすめ、「永遠に生きる」と題する講演をして生徒を激励しました。なごやかな雰囲気の中で佐佐木氏を取り囲む生徒の中から、力強い校歌の合唱がわき起こりました。
作詞 佐佐木信綱
歌人で国学者。三重県鈴鹿郡石薬師村(現・鈴鹿市石薬師町)出身。東京帝国大学(現・東京大学)古典科を卒業し、万葉集研究を中心とした文献学、古典学に深い業績を残した。その功により昭和12年(1937)に第1回文化勲章を受章した。
主な著作に「日本歌学史」「評釈和歌集」、作詞作品に「夏は来ぬ」などがある。
作曲 弘田龍太郎
富田中学校第6代校長・宮地雄吉先生の同郷(高知県)の友人。東京音楽学校本科(現・東京芸術大学)卒業後ドイツに留学、帰国後東京音楽大学の教授となった。
日本の作曲界の第1人者で多くの代表的歌曲があり、童謡「靴が鳴る」「雀の学校」、小曲「叱られて」「浜千鳥」など一般に広く愛唱された作品も多い。